君に捧ぐ「幸福論」

誰のおたくをするにも自分のテーマソングが椎名林檎さんの「幸福論」である、というような話をここでしたことがある。
「君が其処に生きてるという真実だけで幸福なのです」
そんな風に思えたらいいなぁといつも思うけどこれは結局のところ理想に過ぎなくて、生きてるという真実だけじゃなくてアレもコレも求めてしまうのが現実だ。
今からするのは私が初めてその「幸福論」を捧げたいと思った、人生でいちばん好きになった男が「其処に生きてるという真実」を受け止めに行った日の話。

私が人生でいちばん好きになった男は数年前マジで死にかけた。これは業界から、とかいう比喩表現ではなく実際に大事故に遭って死にかけた。
当時はもう彼がいたバンドは解散していて彼自身も表舞台から引退していたので公式からのお知らせとかはなく、mixiでマイミクのファン仲間の子がたまたま見た事故のニュースで被害者の中に同姓同名の人がいたんだけど……って日記に書いていたのを見て、という知り方だった、気がする。いやまさかそんなわけ……ってなったけど彼のツイッターはその後何度リロードしてもまったく更新されなかった。もう一般人だから事務所に所属してるとかでもないし情報も安否も知る術がなくてひたすら祈るようにリロードしていたのを思い出す。その後元メンバーのブログで無事が確認された、みたいな流れだったような記憶があるんだけど正直もうよく覚えていない。そのブログの最後に「元気です、みんな元気」って書かれててすっごい泣いたことだけは覚えてる。あとなんでか後々にその一言が消されたのも覚えてる。あれなんだったんだろうな。
しばらくすると本人のツイッターも更新されて後遺症のこととかリハビリのこととか色々ツイートされた。自叙伝(という言い方でいいのかな)も出版されたんだけど、これは結局今の今まで読めていない。いろんな意味で変わったであろう彼を目の当たりにする勇気がなかったのだ。障害とか後遺症のこととかぼんやりとしか把握していなかったことをハッキリ知るのも怖かった。

人生でいちばん好きになった男のことを、自分の人生を懸けていたと言っても過言ではないバンドのことを定期的に思い出すのは事故の前も後も変わらなかった。思い出すのはずっとあの頃のままのキラキラしたあの人、ステージの上で歌うあの人。でもやっぱり事故の後は頭の片隅で「もうこんな風に歌うことはできないんだろうか、いつかまたって夢を見ることもできないのかな……」って思う自分がいて、そこにたどり着くと思い出に縋るのをやめた。
そしてもう何度目かもわからないくらいの懐古に浸っていたある日、信じられないRTが回ってきた。バンド時代から交流のあるバンド主催のフェスに彼がゲスト出演するというのだ。心臓がもげるかと思った。もう二度と会える機会なんてないと思っていたし、そもそも彼が再びステージに上がる日が来るだなんて。会いに行くことは秒で決めたものの正直会える嬉しさよりも不安の方が圧倒的に大きくて、結局チケットを買ったのは公演ギリギリだった。

ライブ当日。当時あっちこっち一緒に飛び回った友達と、バンドのホームグラウンドだった渋谷で落ち合う。解散する前、ライブの後に最終ギリギリで何度も走った道玄坂。事故に遭う前最後に彼を見たライブハウス。の、向かい側、そこが運命の場所。
中に入ってからの心拍数ったらもう寿命をかなり縮めたんじゃないかと思う。手は死んだか?と思う程冷たいし、もう本当に本当に不安しかなかった。なんならちょっと帰りたかった。
彼の出演時間になるとまず主催のバンドのボーカルさんが出てきて彼をゲストに呼ぶまでの経緯とかそれこそ事故の時の話とかをしてくれた、んだけど、もうこの時点で私の涙腺はブチ切れてしまってマジでほとんど内容を覚えてない。ポンコツかよ。こんな所でなんですが彼を呼んでくれて本当にありがとうございます。
主催のボーカルさんの紹介の後、彼がステージに現れた。バンドのボーカルとしても立ったことのあるそのステージに、一度死にかけた男が、再び立った。私が人生でいちばん好きになった男は確かにそこにいて、でも当時の彼とは全然違う。話す言葉はたどたどしくて動作も少しぎこちない。事故で負った怪我による障害の影響だろうか。覚悟はしていたつもりだけどその姿にはさすがに戸惑ってしまった。
彼の持ち時間は転換のことを考えるとおそらく5分程度。タイムテーブルが発表された時から何をやるのかとドキドキしていたんだけど、詩の朗読とのこと。詩の朗読と聞いていわゆる教科書に載るみたいな詩なのかな?と思ったらなんとバンド時代に彼自身が書いた歌詞だった。私が怖くて読めないままでいる彼の著書のタイトルにも使われた言葉を含む歌詞。両手で歌詞の書かれた紙をしっかりと持って、彼が歌詞を読み上げていく。もう涙腺も脳みそも感情もすべてがパンクしてしまった。
歌詞をすべて読み終え「ありがとうございました」と言い頭を下げてステージから捌けて行く。あぁ終わった。あっという間だった。涙が止まらない。終わった瞬間の感情は今でもうまく言い表せないんだけど、とにかく戸惑いとショックで頭も心も整理できないっていう感じで、でもだからといってそれは決してネガティブな感情っていうわけではなくて……なかったんだけどまぁとにかくパニックというかキャパオーバー状態。来なきゃなかったとかそんなんじゃ全くもってないんだけどだめだもうこの場にはいられんしんどい!みたいになってしまって、次のアーティストさんを見た後会場を後にした。

実はこの日、もうひとつ観たいライブがあって彼を見た後にもし精神的に余裕があればハシゴしよう……と思ってたんだけど逆に精神的に余裕が無さすぎて救いを求めてそちらへ走ってしまった。
おかげさまで観たかったバンドの出番には間に合って聴きたかった曲も聴けたし踊り狂って汗だくになって精神の安定を取り戻したので、帰りの新幹線でゆっくり今日のことを振り返って気持ちを整理しよう……と思って駅のホームでツイッターを開いたら友達から「戻ってきて欲しかった(泣いてる絵文字)」とリプが来ていた。え??なんで??なんかあった???とまた半分パニックになりながら返事をするとまさかまさかもう出て来ることはないと思った彼が最後のセッションでまたステージに出て来たとのこと。

聞いてないで~~~~~~~~~~~~す(大の字)

でも友達から彼が楽しそうに笑って歌っていたと聞いて、すごくすごく嬉しくてあれだけ戸惑って受け止めきれずにいたことのすべてがスッと心に入り込んできたような気分だった。
だって、彼はいまでも歌うんだ。もう歌うことはないのかと思っていたしそれを求めることもなんだかいけないことのような気がしていた。今回のステージだって歌うのかなって少しだけ期待していたけど詩の朗読だったから。でも歌った、また彼がステージの上で歌ったんだ!それをこの目で見ることができなかった後悔よりも彼が歌ったことへの喜びの方が圧倒的に勝っていた。
でもね、やっぱり私も見たかったよ。あなたが歌ってる姿を。また見たいよ、歌ってる姿を。君が其処に生きてるという真実を、それを確かめに行っただけだったのに、相変わらずそれ以上を求めてしまう。だって君はちゃんと其処に生きてたんだもの。
生きていてくれたから、生きている姿を見せてくれたから、私はこれからまた夢を見ることができる。希望を抱くことができる。またステージに立ってほしい、また歌ってる姿が見たい、また会いたい。生きていてくれたから、アレもコレも求めることができる。今はそのことがすごく幸せだ。「時の流れと空の色に何も望みはしないように」なんて、やっぱりできそうにない。だって君が其処に生きていてくれるから。

今の私の「幸福論」は昔の私の理想だった「幸福論」よりもわがままだし贅沢だけど、あの頃と変わらないくらい幸せだ。
君が其処に生きていて未来に希望を抱けることが、幸福なのです。